親が共働きということは、必然的に親が子供と一緒に過ごす時間が専業主婦家庭と比べて少なくなります。そういったことから、共働きの子供がどんな性格になるのか心配になることもあると思います。
私は現在34歳です。2歳上の姉と3歳下の弟がいます。私の両親はずっと共働きで、父は4年前、昨年母が定年退職を迎えました。
両親がともにフルタイムでずっと共働きを続けた場合の参考になるかと思いますので、我が家のケースを紹介したいと思います。
目次
共働きの子供の性格はどうなる?
まず、共働きであった両親に育てられた私、姉、弟の性格は全く似ていません。
姉はお調子者で、集団の輪の中心にいるのが好きな活発な性格です。
それに対して、私はグループ行動が苦手で少人数で過ごすことを好みます。
弟は3人の中では1番気が弱く、他人に対して優しすぎるぐらい。芸術を好み繊細な性格です。
ちなみに、いとこの家庭も共働きでしたので、いとこの性格も紹介すると、いとこは私の一つ年下の男性です。上に8つ年上の兄がいます。そのため、ほぼ一人っ子のように育てられましたが、父親が厳しい性格だったので、いとこはとても真面目に育ちました。私達兄弟を含めた4人の中で1番の高学歴です。
いとことは家はそこまで近くはなかったのですが、年が近いこともあり月に1回はどちらかの親がまとめて遊びに連れて行くなどしていたので、兄弟に近い感覚で育ちました。
それぞれの性格を見てみると、あまり共通点があるようには感じていません。特に姉と私は性格も好みも全く違い、同じ環境で育ったのが不思議なぐらいです。
4人の唯一の共通点は、みんな20前後で家を離れたことです。
姉は高校卒業後、東京の専門学校に進学し就職しました。私も東京にある大学に進学し、現在は都内の会社で働いています。弟は地元の大学を中退し神奈川の美大に再入学しました。いとこは地元の大学に進学し大学院まで進み、その後京都の大学の博士課程に進みました。
でも、これは住んでいた場所が首都圏から離れていたために、やりたいことをやるためには県外に出るしか無かったということもあるので、性格だけが要因とは言いづらいかもしれません。
それよりも、金銭面で親のサポートがあったという点の方が大きいと思います。
なので、私個人の意見としては、共働きが子供の性格に影響を与えることはあるかもしれません。
でも、それは兄弟が何人いたのか?仲が良かった友達がどんな子だったのか?好きだったアニメは何だったのか?習い事は何をしていたのか?ペットを買っていたのか?血液型は何型か?
といった要素と同じ程度だと思います。
育った環境が性格に影響を及ぼすかもしれませんが、どれか一つの要因だけで性格が決まるとは思っていません。
それよりも大切なのは、親が仕事をしている、していないに関わらず、子供とどのように向き合い、接してきたのか?ということだと思います。
ただ私にも、反抗期はありましたので、母親が仕事で忙しいことに対して不満を感じていたこともあります。
0歳児から保育園に通っていた私
もう少し私が育った環境を説明します。
両親の職業と保育園時代
父は建築業でのちにフリーとなりますが、私が高校までは会社勤めをしておりました。そのため、朝の出勤は7時。帰宅は21時を過ぎることも多く、平日はほとんど家事や育児に関わることはありませんでした。
母は大学を卒業し小学校の教員となりました。父と結婚してから2年後に姉が産まれました。当時の母は25歳でした。そして27歳のとき私が産まれ、30歳のとき弟が産まれました。
教員だったこともあり、出産後の仕事復帰は必ず4月と決まっていたため、6月産まれの私は生後10ヶ月から保育園に預けられ、弟は11月産まれだったため生後5ヶ月から保育園に預けられました。姉だけは2歳まで祖母が見ていたそうです。
母の出勤時間はそのときの小学校によって変わっていましたが、だいたい7時半には家を出ることが多く、私たちは保育園に行く前に一度祖父母家に預けられ、祖父母によって保育園まで連れて行ってもらっていました。
お迎えも祖父母が来てくれて、祖父母宅で母の帰りを待っていました。
母が祖父母宅に来てくれるのは18時前後でした。お腹が空いて待ちきれないときは祖父母宅で夕食を済ませることもありました。
祖父母宅と実家は100メートルほどしか離れていませんでしたし、交通量も少なかったため、近所の駄菓子屋さんにお小遣いをもらって弟と買いにいくこともありました。
この頃、親がいないことは普通のことで、寂しいという感覚はほとんど無かったと思います。父親が働きに出ることは当たり前で、母が働きに出ることも当たり前で、保育園に行くことも当たり前。
ただ祖母と過ごす時間が長かったこともあって、私はおばあちゃん子になりました。姉と弟はおばあちゃん子ではないので、性格や相性もあったのかもしれません。
共働きでない家庭もいると知った小学生時代
保育園を卒園し、小学校に入学してからは、放課後は習い事をして過ごすことが多かったです。当時はまだ、放課後も小学校の校舎内やグラウンドで遊ぶことができたので、習い事がない日は一度祖父母宅に帰宅して、友達と遊びにいっていました。
学校を含め、近所全体が自分の庭という感覚だったのかもしれません。
ただ小学生になってくると、母親が働いていない家庭もあるようだ。ということに気付き始めました。学校から帰るとお母さんが「おかえり」と返す友人を見ると不思議な感覚に思えました。
でも羨ましくは無かったです。むしろ私は祖父母宅で過ごしていたので、学童に通っている子が羨ましかったです。なぜなら、祖父母宅では友達を連れてくることが禁止されていたからです。そのため学童で友人と一緒に過ごせる友達が羨ましくて仕方なかったです。
習い事は、スイミング、ピアノ、習字、英会話、一時期はそろばんと、比較的多くの習い事をしていましたが、好きで始めたわけではなく、姉やいとこがやっていたため私もやっていたという思いが強く、次第に嫌になり小3のとき全て辞めてしまいました。
他人が私のことをどう評価していたかは分かりませんが、小学低学年のうちは優等生の部類に入っていたと思います。よくクラスの代表にも選ばれていましたし、勉強もできる方だと自分では思っていました。
週末は、母は持ち帰った仕事をすることが多く一緒に遊んだりすることは少なかったです。そのかわり父がサイクリングに連れて行ってくれたり、キャンプに行ったりしました。
母が身の回りの世話をして、遊び相手は父親という役割があったのかもしれません。
小学3年になると、徐々に行動範囲も広がり友達と遊ぶのが楽しくて仕方ないと思うようになりました。また、周囲の目を気にするようになり、あまり目立ちたくないという気持ちが芽生えるようになりました。
お手伝いもサボるようになったのは高学年に入ってからです。とはいっても家事の手伝いは強制ではなかったので、手伝わないことに関して怒られたことは一度も無かったと思います。
それに、家事を手伝っていたのは私だけで、姉は私以上に家事に興味がなかったようで、姉が洗濯物を畳んだりしている姿は見たことがありません。
両親が働いていて寂しいなと感じたことは小学5年のとき友人間でトラブルがあり、仲が良かった女子グループが、本当に些細なきっかけで2グループに分かれて対立するようになったことがありました。
そのとき、母にどうしたら良いのか相談したかったのですが、忙しそうにする母を見ると言い出せませんでした。最終的には、担任の先生に相談し、両者で話し合いをし仲直りしました。
担任の先生は上手く間に入ってくれたので大きいイジメなどには繋がりませんでしたが、喧嘩中はピリピリした空気があったため、かなり際どい状況だったように感じます。
この他にも、私は友人関係で悩んでいたことがあっても母に相談したことはありません。
分からない勉強は気軽に聞けるのに、深い部分の悩みは相談出来なかったのです。それは、大人になった今でも同じかもしれません。でも、何でも言い合える関係が良いか悪いかはケースバイケースだと思うので不自由はしていません。
そういった些細なこときっかけに、段々親と距離を取るようになっていきました。そして高学年になると次第に反抗期が始まりました。
反抗期真っ最中の中学時代
中学に入ると部活中心の生活になり、家で過ごすことは週末も含め少なくなりましたし、反抗期だったので親との会話は少なかったと思います。
特に父親とは週末もほとんど会話することが無かったです。
中学2年の秋になると塾通いも始まり、ますます家庭で過ごす頻度は低下していきました。
父親にはまだ反抗期真っ最中の高校時代
高校に入ると母への反抗期は治まりましたが、まだ父との関係は上手くいっているとは言いづらい部分がありました。
そもそも、平日は父が家にいることは少なく、休日は私が部活などで不在にするため、会話をする必要性も感じていなかったし、普段一緒に過ごすことが少ないから、父親と話すにはまず、それに付属する情報も説明する必要があり面倒に感じていました。
たとえば、私は部活でテニスをしていたのですが、父親はテニスに関する知識はゼロ。そのため「部活どうだ?」と聞かれても、「まあまあ」としか返せない。
だって、「フォアの調子は良いけど、サーブの調子が良くない」と言ったって通じない。通じないと分かっていることを答える意味はないし、通じるように説明しようとも思わない。なぜなら説明したって忘れるんだから。
大学に進学するために、県外の大学を受験することも、どんな学部を選択したのかも父親には一切相談しませんでした。
そもそも母も父と同じぐらいの収入があったため、予備校の費用、私の大学進学の受験料や、授業料、一人暮らしのための仕送り、家賃などは、母親が出してくれたのか、父親が出してくれたのか分かりません。
毎月の仕送りと、家賃だけでも10万以上かかるので、もしかすると母親と父親で話し合って割合などを決めたのかもしれません。
父親との関係が修復したのは、大学進学で家を出て冷静に親について考えられるようになってからです。
我が家の教育費事情
こういうことを書くと自慢に聞こえてしまうかもしれませんが、習い事や部活、進路のことで金銭面を理由に断られたことは1度もありませんでした。おそらく姉も弟も同じだったと思います。
とくに、教育に関するお金はもの凄く出してもらったと、大人になって自分が働くようになってから気づきました。
高校のとき通っていた英会話教室で募集していた約100万円のアメリカへのホームステイも認めてくれました。姉も専門学校時代にカナダに数ヶ月留学していました。
大学も私立大学の文系に進みましたが、毎月の仕送りと、家賃も4年間かかったので1000万円はくだらないと思います。
弟にいたっては地元の私立大学を2年、美大を4年通っているので、私の倍はかかっているかもしれません。
しかし、私も弟も奨学金などの利用は一切ありません。全て両親が出してくれました。
でも、逆に両親が仕事をしたいたため、家族で旅行に行ったことはほとんどありません。家族旅行はたぶん2回しか経験なかったと思います。
小学生の夏休みも、学校は休みですが教員は仕事のため、母は普段よりはちょっと遅めの8時に出勤し17時には帰ってきましたが、夏休みだから親子で出かけるということはありませんでした。
おもちゃも誕生日やクリスマスに買ってもらえるだけで、何かのご褒美に買ってもらうことなどはありませんでした。
共働きで時間的に余裕がなかったからこそ、大きな出費をすることなく過ごせたのかもしれません。
我が家の成績事情
共働きできになることに子供の成績がありますよね。
「母親が家にいる家に比べて勉強を見てあげる時間がなくて心配」って思っていませんか?
これに関しては、あまり心配しなくても良いと思います。
私自身、勉強は好きな方でしたし大学でもそれなりに勉強は頑張った方だと思います。社会人になってからも専門知識を身につけるための学習は苦ではありません。
一つ下のいとこも地元の大学に進学後に、京大の博士課程に進みました。
ただ、それ以上の現役で医学部入る、弁護士になる、公認会計士の資格を取る等のレベルになると、ごめんなさい。身近にそういう人がいないので分かりません。
高校時代の友人の中で、現役で国立大学の医学部に合格した友人は専業主婦家庭でした。同じく、現役で国立大学の薬学部に合格した友人も専業主婦家庭でした。
なので、もしそれくらいのレベルを求めるのでしたら共働きではサポートに限界がくるときがあるのかもしれません。医学部に進学した友人も、薬学部に進学した友人も1度も塾や予備校に通うこと無く自宅学習だけで勉強していたので、親のサポートの凄さが想像できます。
でも逆に考えると、そのくらいのレベルを求めないのであれば、専業でも兼業でも大きな差は無いのかもしれません。
まとめ
母親が働くことの影響として多くの人が心配する要素として、子供の性格への影響、教育費、成績の3つを私なりの経験をもとに紹介しました。
共働き家庭で育ち、0歳から保育園に通っていた私の結論としては、
- 子供の性格への影響は考えにくい
- 教育費はかなり影響する
- 成績は本人の努力次第
となります。
また影響があるとしたら、保育園時代よりも小学校に入学してからだと思います。
理由は、幼いうちは子供も自分の家しか知らないので、両親が働いていることを当然のことと考えるし、親は絶対なので拒否することを知らないからです。
しかし小学生になり、自分の家庭環境と他人の家庭環境が違うことが分かると「隣の芝は青く見える」こともあるでしょう。そんなときに上手く話し合うなどのフォローが無ければ、子供は「自分は不幸な子」と思い込んでしまう危険性もあります。
ただ、そういったことがあるかもしれないということを親が事前にしっかり認識できていれば適切に対処できるはずです。
私も反抗期はありましたが、両親には感謝の気持ちしかありませんし、共働き家庭で良かったと心から思います。ちょっと家事が苦手な母ですが、世界で1番尊敬しています。
自身が専業主婦家庭で育ってきたママからすると、共働きは未知の環境で心配になることも多いかもしれませんが、専業主婦家庭も共働き家庭もいい面、悪い面というのは必ずあると思います。
結局は、子育ての1部分だけを切り抜いて見ても分からないってことなんだと思います。いい子に見てても実はいっぱい我慢している子もいるし、親にかまってほしくてイタズラばかりしている子もいる。
子供のちょっとした変化に気づけるようにするには、一緒に過ごす時間も大事かもしれませんが、たとえ時間が短くても気づける方法はあると思います。
一方の悪い面ばかりを心配するのではなく総合的に判断して、時には「完璧な親なんていない」と開き直りながらも、自信を持って子育てしてほしいなと思います。
子供の性格、親の性格が様々なように、家庭のあり方もそれぞれ違って良いと思います。