共働き家庭で育ち大人になった33歳が思うこと

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私には年長クラスに通っている6歳の長女と1歳クラスに通っている2歳の長男の2人子どもがいます

今1歳クラスに通っている長男は0歳児から保育園に通っています。

私の大学時代の友人が今が出産ラッシュで、ここ数年は多くの出産報告を聞きます。

私が結婚したのは25歳のとき、長女を出産したのは27歳のときです。そのため友人たちの中では子育ての先輩という立場です。

そんな友人たちと会って話すときに必ず話題にのぼるのが、赤ちゃんをいつから保育園に預けて復帰するのか?または仕事を続けるべきかどうか?

と、いった仕事と子育ての両立についてです。


親自身が保育園に通った経験がないから不安

話を聞いていると共通した悩みがあるようでした。

それは、自分は幼稚園だったから保育園というものを知らない

ということです。

つまり、自分が知らない環境に子どもを委ねるのが不安

また実母は専業だったため、親から仕事と子育ての両立に関するアドバイスが聞けず、復帰後の生活を想像できない、ということです。

確かに、自分が知らない環境に可愛い自分の子どもを預けるのは勇気が必要ですよね^^

私は私自身も保育園に通っていたし、いとこ達も同じ園ではなかったけれどみんな保育園に通っていました。

なので、私が知っている範囲で、小さいうちから保育園に通うことなどを子供目線でまとめてみることにしました。

0歳から保育園に預けられた私が大人になるまで

0歳から今現在までのことを書くのは少し恥ずかしいのですが、悩んでいる方の為になればいいなぁと思い書きますね。

まず、私の両親は父親が会社員、母親は小学校の教員をしていました。

母が25歳のときに私の姉が生まれ、その3年後に私が生まれ、さらに2年後に弟が生まれました。

なので、私達3兄弟は3人とも保育園に預けられました。

姉は1歳半から
私は生後10ヶ月から
弟は生後半年から保育園児です。

預けられた月齢が違うのは、生まれた月が違うためです。教職員なので学年が変わる4月から職場復帰する意外の選択肢はなくそれぞれの誕生月によって4月入園までの期間が違うため、このようになっています^^

私が保育園に通っていたのは0歳から、小学校に入学するまでの6年間ですが正直、その時の記憶はあまりありません(笑)

まぁそりゃ、そうですよね。普通1、2歳の出来事を詳細には覚えていないですよね。

でも、保育園が楽しかったんだろうなという思い出はあります。

夏の日に保育園の屋上でプール遊びしたこと

秋になると近くの公園の広場で運動会をしたこと

園内の砂場で友達とお山を作って遊んだこと

たまに2教室の扉を取り払って部屋の中を走り回ったこと

もう仲が良かった友達の名前も思い出せないですが、嫌な記憶は一つもなく、楽しい記憶が残っています。

保育園時代の記憶は楽しい記憶ばかりですが、小学校高学年ぐらいになってくると親が共働きであることに不満も出てきました。

学校で友達と喧嘩して、そのことを夜、母親に相談したときの母親の「あぁそんなこと」というような態度とか

母親の職業が小学校の教員だったので、子ども同士のトラブルに親が慣れすぎていて、ちょっとした友達の喧嘩なんて

どっちかが謝れば済むでしょ

といった、あっさりしたものでした。簡単に謝ることが出来ないから相談したのに・・・と子ども心に思っていました。

何を相談しても、全て答えというか正解を知っているので私としては、家にも先生がいる感覚で、しっかり話を聞いてくれる人が欲しい!!と思っていました。

そういったことから、高校生になった頃には母親に相談したり助けを求めたりはしなくなりました。

高校卒業後は早く実家を離れたくて、実家から通えない東京の大学を選びました。受験する大学の相談さえしませんでした。

でも一度でも実家を出てみると、親のありがたさが分かりますよね。

あの忙しい日々の中で掃除、洗濯、料理をしてくれて本当に大変な毎日だったと思います。

たまには母親も不満を言ってたけど、それでも、私たち子どものことを最優先にしていてくれたと思います。

そのため、大学を卒業し就職するとき、できるだけ結婚、出産後も働くことに重点において就職活動をしました。

友人たちが大企業や総合職でキャリアを重視してたのに対して私は福利厚生重視でした。

そして運良く結婚しありがたいことに子どもも2人できました。大学卒業後に入った会社で未だに働いています。

平日は祖父母がサポート

さて、普段は掃除、洗濯、料理、育児は母が行っていたのですが、母が務める小学校の運動会や遠足、発表会の前後は残業になることも多く、週末学校に行くこともありました。

そういった母が不在のときは祖父母が面倒をみてくれました。

祖父母の存在というのは、とても大きかったと思います。

父は仕事が忙しく平日は不在のことが多かったので母と衝突したときの受け皿となってくれたのが祖母でした。特に助言をしたりとかは無かったのですが、いつも温かく話を聞いてくれました。

相談しても世代も離れすぎているので、答えを得られることはありませんでしたが、ただ話を聞いてくれるそれだけで嬉しかったです^^

私と母親のいいクッション材になっていたと思います。

風邪をひいたときにも、かなりの頻度で祖父母に看病してもらったと思います。

週末は父親とアウトドア三昧

平日は朝早く出かけ帰宅も遅かった父親でしたが、週末は父親といっぱい遊んでいました。

車が好きな父親だったので、父の大学時代からの友人たちと作った車サークルの集まりに朝から1日中ついていったり

夏になると、海水浴やサイクリング、プール、キャンプ

毎年、真っ黒に日焼けするぐらい遊んでもらいました。

特に毎年GWの時期に行っていたキャンプはとても楽しくて、そこで食べるバーベキューのお肉はとても美味しかったです。

母が学習や生活面をみてくれて、父が遊びを教えてくれたんだと思います。

私も母親のように定年まで働き続けたい

たまに両親と衝突したりして嫌になったこともありますが、共働きで仕事をしてくれた両親には感謝の気持ちしかありません。

我が家は決して父親の収入だけでも十分だったと思います。普通の暮らしはできていたと思います。

しかし母がフルタイムで働いていたからこそ幼少期から習い事もプール、ピアノ、英会話、習字、そろばんと、なんでもさせてもらったし

部活も好きなの選べたし、予備校も大学受験も好きにできました。

大学進学のことは本当に感謝していて大学に進学したからこそ大事に仲間もできたし

なによりも恩師だと言えるゼミの先生にも出会えたことが、私の人生を決定付けたと思います。

あのとき、もし

県外の私立大学に行かせるお金なんてないよ

って、言われていたら

もし、

奨学金で大学言って

って言われていたら

今の私の人生は無かったと思います。

自分が親になるまでは、子どもがお金を気にせず自由に進路を決めるのは当たり前だと思っていましたが

改めて考えてみると、大学時代だけでもトータル1000万近くかかっていて本当に頭がさがります。

可能であれば私も、私の親に私がしてもらったことを、自分の子どもにしてあげたいなと思うので頑張って私も働かなきゃなぁって思ってます。

それに我が家の場合、旦那の給料だけでは極貧生活になってしまうので^^;

アナタが働く理由はなんですか?きっと、今は辛くても5年後10年後を考えると、働かないという選択は、簡単にできるものではないと思います。

今は辛くても、きっと良い未来が待っていると思えれば頑張る価値は十分にあると思います^^

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